古代の供養文化:張り子芸術の物語

▲臺灣の伝統的な紙芝居である「紙紮(ジャーザ)」が、フランスのパリで2度目の展示が行われ、世界中の人々にその姿を見ることができました。(寫真・新興糊紙文化)

Jenna Lynn Cody

編集

下山敬之

寫真

新興糊紙文化、張徐展

豪邸を想像してみて下さい。その家は昔のような鮮やかなピンクや綠、黃色などで塗裝されたデザインかもしれませんし、あるいは今日の臺灣の富裕層が建てる中間色を中心としたモダンなデザインかもしれません。そして、その家の中には高級車やブランド物のバックや靴、そして必要な額のお金があるはずです。

臺灣では葬儀や告別式、法事などの際に、驚くほどリアルに再現された家や車などの副葬品を目にすることがあります。張り子と呼ばれるこれら副葬品は紙や竹で作られており、最後にはすべて燃やされて灰になります。副葬品は生者のためのものではなく、死者が冥界で使うために供えられます。

4月初旬になると臺灣の人たちは墓參りをしますが、その際に精巧に作られた冥銭(めいせん)と呼ばれるお金を模した紙や、紙で作られた副葬品が特別な意味を持ちます。これらの紙製品は亡くなった方の供養として燃やされるのが一般的です。張り子芸術には數千年の歴史があり、世界中の華人コミュニティで見られる光景ですが、臺灣の張り子アーティストはその獨創的な作品や短編映畫の製作によって新境地を開拓しています。張り子芸術は國際的にも注目を集めており、フランスではケ・ブランリ美術館などで何度も特別展が開催されるほどです。

張り子芸術を理解する上で、その歴史や文化的な意味合いだけでなく、現代の観客が楽しめるようどのように現代アートへと変化していったかを知ることも重要です。

生と死を超越した張り子芸術

張り子芸術は、華語で「紙紮(ズーザー)」と呼ばれ、古代中國で生まれました。記錄によれば3世紀の三國時代、あるいは數世紀あとの唐代に登場したとされる說があります。この芸術は古代に故人を供養する際の習慣に由來しています。古代中國の富裕層は、世界中の多くの文化と同じように、多くの富を超自然(自然界の法則を越えた領域)へと持ち込もうとしました。富の中には生きている人間や動物が含まれることもあり、特に馬の殉葬が多く確認されています。また、道教や民間信仰の神々などに向けて供物が捧げられたという話もあります。

▲伝統的な張り子細工は異様な見た目をしていますが、これらは死者の冥福を祈るために使われます。(寫真・張徐展)

やがて生きた供物を殉葬する文化は、人などを模したものを副葬品として埋葬する形へと変化していきます。その最たる例が、紀元前3世紀に秦の始皇帝によって作られ、後に中國の西安で発見された兵馬俑の粘土で作られた兵士や馬です。その後は、細い竹を組んで作った枠に紙を貼り付けた色鮮やかな張り子が登場するようになります。これはもともと民間の風習だったものが、後に皇帝や貴族の間にも広まったものと考えられます。

▲伝統的な張り子細工は異様な見た目をしていますが、これらは死者の冥福を祈るために使われます。(寫真・張徐展)

張り子の起源は7世紀、唐の太宗の時代にまで溯ります。名君として知られる太宗の統治は、突厥に対する軍事作戦が特徴的で、中國を強くした一方で多くの死と破壊をもたらしました。

伝承によれば、太宗の魂はある神のいたずらによって一時的に冥界へと送られたと言います。そこで太宗は自身の命令で戦い、死んでいった多くの死者の魂に遭遇し、死者たちから施しを求められました。中國の神話では、死者も生者と同じように食事を必要としますが、戦爭で命を落とした亡霊たちには食べ物も家も財產もなかったのです。

現世に戻った太宗は、家臣に死者の張り子を作らせ、お経を唱えることで彼らが次の世界へ渡り、安らぎを得られるようにしたと言われています。別の伝承では、太宗が死者の幸せを願って紙で供物を作り、それを燃やして冥界へ送ったと言います。

中國で張り子を使った供養が盛んになったのは、太宗の治世からだいぶ後になり、製紙技術も大きく進歩した宋代(960年〜1279年)以降です。福建省南部からの移住者が臺灣に張り子による供養の文化を持ち込んだ頃には、紙製品は技術を伝承する芸術の領域に入っていました。現在は大量生產された紙の副葬品がインターネット上に溢れていますが、中には職人による伝統的な手作りにこだわり、故人が望んでいたものをオーダメイドで註文する人もいます。そうすることで、故人は死後の世界で望むものがすべて手に入ります。

実際にかなり具體的な発注が可能となっており、高級な電化製品はもちろん、iPhone、シャネルやバーキンのバッグといった希望を出す人もいれば、ランボルギーニやハーレーダビッドソンなどの高級車を求める人もいます。

臺北で活気を見せる古代の芸術

張氏一家は張り子芸術の一族です。彼らは19世紀後半、先祖の張根乞が臺北の大稲埕に張り子細工のお店「茂興齋」を創業したときから、その仕事に攜わってきました。その後、お店は近所の大龍峒に移転し、創業者自身も他界してしまいましたが、張氏一族は1世紀以上に渡って張り子の販売をしてきました。彼らは手作業で丁寧に作られた伝統的な作品と芸術に対する前衛的な探究心があることで、その名が知られています。

▲張氏はひたすら努力をすることで、完璧な作品に仕上がると信じています。(寫真・張徐展)

「これこそが伝統工芸の尊い精神なのです」と4代目の張徐展氏は言います。「私たちは手作業にこだわって張り子細工を作っています。私たちは故人のために作った副葬品が燃やされることで、冥界で使用されると信じています。なので、故人に敬意を示す意味でも手間を惜しんではいけないのです。ただ、故人がお供え物を受け取ってくれるのか、そこだけが一番気になっています」。

張氏は、この古代の芸術に身を捧げる若者として真摯に、そしてロマンに満ちた心構えで仕事に打ち込んでいます。

伝統とモダンの融合

張氏は伝統的な張り子細工だけでなく、國際的なアートの世界でもその名が知られています。彼は一族の代表として多くの國際的な展覧會に參加しており、特にフランスではこのユニークな芸術形態が、その技術と臺灣文化の関系性から高く評価されています。

2016年には、パリ裝飾芸術美術館が毎年開催しているD’Days(デザイナーズデイズ)フェスティバルに出展。『 Taiwan Unfolding(臺灣新芸)』と題されたこの展覧會では、臺灣の伝統芸術にスポットが當てられました。

また、2019年にはパリのケ・ブランリ美術館で開催された『Palace Paradis(パレス・パラダイス)』展に出展しているほか、今年は日本やマレーシア、そして臺灣の東北海岸にある金瓜石で開催される芸術祭での展示を予定しています。

▲張氏は伝統芸術と現代技術を組み合わせることで、代々受け継がれてきた張り子の芸術に新たな生命を吹き込もうと考えています。(寫真・張徐展)

張氏は一人のアーティストとして、自身の観察や人生経験を家族から受け継いだ伝統芸術に取り入れています。「伝統的な張り子細工は一種のサービスです。なぜなら、自分のアイデアを形にするのではなく、お客さんが望むものを作るからです。しかし、私自身はアーティストでもあるので、その創作は私のイマジネーションからしか生まれません。伝統の張り子細工は他人のために創作するのに対し、アーティストは自分のために創作します。私はこの相反するコンセプトを結びつけたいと考えています」と彼は話します。

▲張氏は伝統的な民話から様々なインスピレーションを得て、それを新たな視點で解釈しています。(寫真・張徐展)

張氏は張り子細工を取り入れた映畫製作も行っており、2022年には16分の短編映畫『熱帯複眼』が第59回金馬獎で最優秀短編アニメーション賞を獲得しています。この作品は東南アジアの民話『マメジカとワニ』をモチーフにしたもので、張り子細工で作った動物をコマ撮りしています。『マメジカとワニ』の民話には様々なストーリーがあり、最も有名なものは川を渡って果物を食べようとしたマメジカが、ワニを騙して橋を作らせるという話です。

張氏の作品では、ハエの複眼を通して見た世界が描かれ、「熱帯」という言葉がより「地域的」な概念として解釈されています。この民話は世界各國に似た話があり、それぞれの文化によって考え方が異なります。「この民話を読むと複眼で見た世界のように広い視野で物事を捉えることができます」と張氏は話します。「國によって登場する動物が異なります。例えば日本ではウサギとカメ、臺灣ではネズミと水牛が登場します。『熱帯複眼』もストーリーは同じですが、異なる動物を登場させています」。

張氏は自身のルーツの中からインスピレーションを見出しています。彼は今回の受賞について自分のためだけではなく、家族のためでもあると語ります。「家族は張り子の伝統芸術を、ビデオアートの技術を通して再び見られることを誇らしく思っています」張氏は続けます。「年配の人たちは張り子細工の產業が衰退した時に、この伝統芸術の將來に不安を感じていました。しかし、現代の技術の助けを借りることで、この古代の芸術が再び注目を集め、人々に評価されているのを見ることで、自分たちの仕事に意味はあったのだと感じられます」。

かつては死者にしか関連がなかった張り子細工の芸術が、現在は張氏の作品を通して生者から評価を得るようになったのです。

歴史からインスピレーションを得る

張り子細工の芸術が臺灣文化と密接に関わっているように、張氏もまた臺北市での生活や周囲の環境からインスピレーションを得ています。例えば、彼の作品には特に死んだネズミがよく登場しますが、これには芸術的に大きな意味があります。

「路上で轢かれて死んだネズミを見ると、人間の生活と似ているなと感じます。ネズミは職場で働くサラリーマンと同じで様々な問題に直面しますが、それを解決したり、現実を変えることはできず、問題が起こるのをなすすべもなく見守るしかありません」と張氏は話します。

▲動物の生死に焦點を當てた張氏の作品『Si So Mi』は、數多くの國際的な賞を受賞しています。(寫真・張徐展)

もちろん、すべてのインスピレーションがこのように暗いものではありません。ポジティブなインスピレーションが得られる場として、張氏は圓山大飯店の秘密通路(密道)と東トンネルを抜けた先にある「覓到バー(覓到は密道と同じ発音)」を挙げています。これらのトンネルは緊急避難用に作られたものですが、現在は一般開放されています。「私たちは建物を見た時、たいていの場合は居住スペースとして捉えます。しかし、圓山大飯店のトンネルは私たちに想像力を働かせる機會を與えてくれているのです。建物の中には別の場所に通じる道があります。このトンネルで言えば、通り抜けた先に臺北の興味深い歴史が待っています」。

活気に満ちた臺北にいると張氏の創造力は盡きることがありません。彼は聖火ランナーのように、100年以上に渡り受け継がれてきた張り子芸術の伝統を家族やその他の張り子細工に魅了された人たちに伝えていき、その先に待ち受ける試練も乗り越えていくことでしょう。